9月23日放送の「情熱大陸」に尾畠春夫さんが出演されます。
尾畠春夫さんといえば、
2018年8月、山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児を発見し、
一躍時の人となりました。
警察でさえ手こずった男児の捜索を1人でやってのけた尾畠さん。
人は彼の事を「スーパーボランティア」と呼びました。
情熱大陸にボランティアの枠で出る人って初めてではないですかね?
尾畠さんの取材の1番の条件は「作業を妨げないこと」とのこと。
そんな「スーパーボランティア」の尾畠春夫さんについて調べてみました!
目次
尾畠春夫さんのプロフィール
名前 尾畠春夫(おばた はるお)
年齢 78歳
生年月日 昭和12年 ?月?日
出身 大分県安岐町(現・国東市)
身長 161㎝
体重 57kg
なんと小畠さんはファンクラブができるほどの人気ぶり!!
昨日の尾畠春夫さんとの出会いに
とても感激いたしまして、
ファンクラブを探しましたら
ありませんでしたので、開設しました同じように感激している人の多さに
また感激いたしまして、
RTで情報を共有できたら嬉しいです尾畠さんの言動に共感したということは
すなわち私達にもできるということ— 尾畠春夫さんファンクラブ (@obataharuofc) August 16, 2018
これはすごい!ボランティアの方でこれだけのファンがいらっしゃるのはすごいです!
しかも78歳なのにすごく活動的ですよね!
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被災地でボランティアをする際の暮らしは?
尾畠さんは携帯電話をもたず車で寝泊まりされています。
3時4時には仕事が終わり、車の外でビニールシートを引き、ゆっくり過ごします。
現在は天応小学校の校庭で寝泊まりされています。
車の中で寝るのは苦痛じゃないですか?と質問した所、全然苦痛じゃない。なぜなら避難所で寝てる人より快適だから。と答えられていました。
近づいてくるものは拒まない尾畠さん
『私は近づいてくるものは絶対拒まないんです。』名言ですね。
朝1には近くの川で
一人で続けている作業があります。
泥の中に埋まっている衣服を取り出して近くの木に干していました。
この衣服を見る事で、行方不明の家族がいるご家族のなにか手がかりになればと毎朝されているそうです。
尾畠さんはボランティアでは報酬を一切もらわないのをポリシーにしているらしく、
沢山の取材の電話やCMなどのオファーが来ますが全部断っているそうです。
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尾畠春夫さんはなぜボランティアを始めたのか?
尾畠さんは小学生のときにお母様を亡くされました。
そして農家に丁稚奉公に出されました。
「親父は下駄を作って売る職人でした。明治生まれだから厳しい人でね。よく殴られました。食うのも厳しい時代だった。小学生のときに母親が亡くなりましてね。それから農家に丁稚奉公に出されました。育ち盛りにいつも腹を空かせて、つらい思いをしましたよ」
引用:(尾畠さん、注がなければ「」内以下同)
戦争が激化する時代に生まれ、戦後の貧しい時代に育った小畠さんは、
杵築市の八坂中学校に在籍していたが、ほとんど学校には通えなかったらしいです。
尾畠さんは15才の若さで高校に通わず魚市場に修業に出ました。
10年ぐらい大分市や兵庫の神戸市の魚市場で働いていたそうです。
そして20代の半ばで、東京にも出稼ぎにも行かれ、
とび職で3年間。
自分の店を開く資金と、結婚資金を貯めるために出稼ぎに行かれました。
とび職の経験は、今のボランティアの現場でも生きているんだとか!
28才のとき、別府市内に鮮魚店「魚春」を開業。
近所の住民の方に聞いた話によると、
「春さん(尾畠さんの愛称)が捌く刺身は絶品でした。お祝い事があると、春さんに注文して。年末には店の前に長い行列ができていました」
とのこと。
すごく繁盛していたんですね。
しかし、尾畠は突然65才の誕生日に、繁盛していた「魚春」を突然畳みました。
「閉店することは、奥さん以外には当日まで内緒でした。誕生日の朝、店頭に『今まで長い間、ご愛顧ありがとうございました』と書いた紙を貼り出したんです。お客さんからすれば、仰天したようです。どうしてかって? 私は15才で働き始めたときから、働くのは65才までにしよう、と決めていたんです。本当に、それだけ」
尾畠さんはご自身の人生プランの中にいつ退職するかはっきり決められてた様ですね。
お得意さんのところへ閉店の挨拶に回ると、
『これまでわが家は、ずっと魚春さんの魚しか食べてこなかった。これからは一体どうしたらいいんですか』と詰め寄られたそうです。
ほんとにお得意さんにも愛されていたんですね。
その恩を、直接は無理でも社会を通じて恩返ししたい、
との思いがボランティアを始めるきっかけになったと尾畠さんは話していました。
しかし尾畠さんは引退してからボランティアを始めたわけではなく、
魚春の頃から、近所にスズメバチの巣ができると率先して取り除き、
通学路にマムシが出ると聞くと、“子供たちが危ない”と毎年、草を刈っていたらしいです!
スズメバチの巣とマムシを退治するとは…流石ですね。
根っからの善人とみんなに慕われていたそうです。
しかも、40才頃から趣味で山登りを始めて、
58才で北アルプス55山を単独縦走。
地元の由布岳では、「何度も登っている山へ恩返しがしたい」と登山道整備のボランティアを始めて、
週に2回、40kgの道具を背負い、崩れかかった路肩を修理し、
案内板を設置したりしていたようです。
2014年には、環境相から地域環境美化功労者として表彰されました。
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全国各地へとボランティアに出向くようになったきっかけは?
2004年、尾畠さんが64才のときに新潟県中越地震がおきました。
体力は人並み外れている尾畠さんは、
66才のとき、「生まれた日本を歩き、体力を試したかった」と考えていました。
徒歩で日本を縦断。
無人駅やテントに泊まり、九州最南端からたった3か月で北海道の稚内市にたどり着きました。
74才のときにも本州を徒歩で1周。
現在も1日8kmを歩きます。
この年齢でこの体力はすごい!!
東日本大震災でも現場へ急行。
大分県と宮城県南三陸町を行き来し、計500日という長期にわたり支援した。
とくに津波で流された写真や思い出の品などを収集、洗浄する「思い出探し隊」隊長として尽力しました。
行方不明者の捜索経験が豊富な尾畠さんは
遭難者の特性を見極めて、居場所を絞り込んでいく。
長年の整備活動で山を知り尽くしているため、地元・大分では要請を受け、警察の部隊を率いて捜索に当たったこともあるらしいです。
すべての経験が役に立っていますね!!
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尾畠さんは奥様と別居している?
尾畠さんの奥様との馴れ初めは、
鮮魚店の前を通学していた女学生に一目惚れして結婚したのだそうです。
なんともロマンチックな馴れ初めですね。
尾畠さんと奥様の間には一男一女が産まれたそうです。
更に今はお孫さんが5人いて、
21才の孫娘がいちばん上。
下はみんな男の子で、下が小学1年生らしく、
お孫さんは大分県内に住んでいるから、時々会っているらしいです。
しかし、奥様は今旅に出られているそうで、
「5年前に旅に出たんだ。それから連絡は一度もとっていません。仲が悪いわけじゃなく、籍も入ってますよ。生きてるかって? そりゃ生きてますよ、失礼な(笑い)」
息子さんと娘さんには頻繁に会うとのことですが、
1人暮らしなので自炊をちゃんとされているんだとか、
手料理を披露してくれましたが、
パックのごはんにインスタントラーメンをいれ、
焼肉のタレで味付けしたおじやを作られていました。
ちょっと豪快すぎません?笑
しかししっかり食べているおかげでしばらく病気はしてないんだとか。
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まとめ
休憩時間に尾畠さんに差し入れを持ってきてくれた方がいました。
差し入れを頂いた尾畠さんは号泣!
ほんとに心の優しい人ですね。
メディアが話題にする前からずっとボランティアをしてきた尾畠さん。
ほんとに心から被災地の皆様に早く普通の暮らしをして欲しいという願いを強く持って活動されていました。
とても78歳に見えない働きぶりで働く背中は頼もしくかっこよかったです。
今回の放送で尾畠さんの活動を詳しく知る事ができ、自分にもなにかできないかな?と思わず考えさせられましたね。
これからもお元気で頑張って頂きたいです。
ご覧頂きましてありがとうございました!
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