トシエさん(鈴木利枝)津軽三味線日本一に輝いた人!アニマル浜口のような父親?サバイバル人生?2018年10月22日(月)内容は?【激レアさんを連れてきた。】

1022日放送の、【激レアさんを連れてきた。】今回の激レアさんは世界中危険な旅をしたら三味線日本一になった人トシエさん(鈴木利枝)です。

 

 

津軽三味線で頂点を目指したいのに超強引な父親に連れられて世界中でサバイバルな旅をさせられた結果なぜかそこで得た能力が役に立ち津軽三味線日本一に輝いた人です。

 

 

師匠について三味線を学ぶのが一般的ですが、独学で日本一になったそうです。

 

そんなトシエさんの父は、頭より体が先に動くアニマル浜口さんのような熱血な父

お父さんは、三代続く、お茶屋さんを経営されていました。

 

さて、どんな激レアなストーリーが待ち構えているのでしょうか?

 

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トシエさんの急な転校

小学5年の頃

夕食のおかずを1つ増やすか増やさないかの喧嘩を父と祖母がケンカをしました。

そしてそれが原因で、すぐに転校したらしいです。

 

引っ越す前には吹奏楽部だったトシエさんはクラリネットをしていたのですが、

引っ越した後には吹奏楽部がなく、

 

トシエさんはずっとやっていたクラリネットが出来ず、お父さんにクラリネットがしたい!と頼んだところ、

 

お父さんが借りパクしていたおばあちゃんの三味線があったので、

 

同じ楽器だからいいじゃないか、三味線をやりなさい。

 

と言った事がきっかけで

トシエさんは三味線を好きになり

三味線で日本一になろうと思ったそうです。

 

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2度目の引っ越しで三味線の本場の青森に⁈

三味線で日本一になろうと決めたトシエさん。

 

その言葉を聞いたお父さんは、

三代続いたお茶屋さんを売却し、

トシエのためだと、三味線の本場の青森にすぐ引っ越しを決めました。

 

急に突然引っ越したため、夜逃げ状態。

 

近所では不審な親子だと噂されたようですね。笑

 

青森に引っ越しをし、青森の有名な三味線教室に入りました。

 

その三味線教室の先生がりんごを食べながら寝ていて、やる気が感じられず、トシエさんはこんな所では学べないとおもい、そこの教室を辞める事にしました。

 

すると、三味線教室の先生に怒られ、

 

さらに関係のない学校の先生にも怒られ、

 

トシエさんは、学校に行くのも嫌になり不登校になってしまいます。

 

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独学で三味線を練習し、初めての全国大会に出場。

 

三味線教室にもいけず、高校受験も失敗してしまい、

もう三味線しかないと思ったトシエさんは、

独学で三味線の練習をしていきます。

 

三味線の音楽を聴きながら、反復練習を延々としていきます。

 

青森で独学をするなら青森に出てこなくても良かったのでは⁈

 

そんな日々を続け、

青森の三味線の全国大会に出場します。

 

しかし、メンタルが激弱のトシエさんは

大会で大失敗をしてしまいます。

 

しかもトシエさんは、虚弱体質ですぐ寝込んでしまう体質で、

完全に引きこもりになってしまいます。

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何故か親子で東南アジアへ

こんな状態のトシエさんをみて、

トシエさんのお父さんは立ち上がりました。

 

トシエさんのメンタルを鍛えるために東南アジアに行こう!

 

となぜか思いつきました。

 

なぜそうなったかというと、

お父さんは

サハラ砂漠を横断したり、

ヒッチハイクをしたり、

リアル猿岩石のような経験をし、

自分のメンタルを鍛えた経験があったらしいです。

 

そして、

東南アジアに行ってからお父さんはトシエさんに旅のプランを丸投げました。

 

言葉の通じない国でトシエさんは片言の英語でなんとか移動の仕方など外国人に聞きながら移動したそうです。

 

そして、マレーシアからシンガポールまで、

 

お父さんの思いつきで、なんと、自転車で移動!その時後ろからワォーンと鳴き声が聞こえてきました。

 

振り返ってみると、野犬の集団が2人を追いかけてきました。

 

 

野犬が怖すぎて、野犬が居なくなってからも10時間こぎ続けたそうです。

 

そして、日本に帰国したトシエさんは

東南アジアでの経験が生かされ、度胸もつき、

人前でも、緊張しなくなり、

自転車を爆速した事で、体力もつきました。

 

そして、再度三味線の全国大会に出場し、

なんと!優秀賞を受賞しました!

 

努力が身を結びましたね。

 

しかし、近所の人達からは

変わった子扱いされたり、

独学で三味線日本一になるわけないと言われたりし、まだまだ認められず、

トシエさんは悔しさをバネに三味線のプロになると心を決めたそうです。

 

その事をトシエさんは、お父さんに真剣に話した所

大学に行きなさい。と言われました。

 

色々と破天荒でしたが、そこは真面目なお父さん。笑

 

そしてトシエさんはお父さんの言う事を素直に受け止め、大学に行くため勉強し、それ以外の時間は三味線につぎ込みました。

 

しかしトシエさんはなかなか優勝はできず、

壁にぶち当たりました。

 

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今度は親子でインドへ

そんなトシエさんを見て、

お父さんはまた トシエさんに

インドに行こう!と謎な提案をし、

親子でインドに向かう事にしました。

 

インドに向かう前にお父さんに寄りたい所があると言われました。

 

寄りたいところとはなんと、

ネパールの標高8000メートル越え山でした。

 

お父さんの提案で、インドに向かう前に、2人はネパールに向かう事にしました。

 

お父さんに頂上ではなく、ベースキャンプに寄ろうと言われたのですが、そこも4000メートルぐらいの高さがありました。

 

しかもその日はトシエさんの誕生日だったそうです。

 

辛い登山を終えて、

そのあとインドに向かいました。

 

インドについて、2人はインドの楽器、シタールの教室に向かいました。

 

その時トシエさんは三味線を持ってきていなかったのでお父さんはトシエさんに

シタールを演奏させました。

 

この時、初めて弾いたとはおもえないくらいシタールを上手に演奏したトシエさんは、シタール教室の先生にすごく褒められました。

 

トシエさんはこの時初めてだれかに褒められ、

この出来事により、トシエさんにいままでにない自信がつきました。

 

インドで過ごしていたトシエさんですが、インドが体質に合わず、酷い吐気が止まらず衰弱していました。

 

なかなか治らず、トシエさんはもうダメかもと思うほど衰弱していましたが、

その時お父さんに、寿命が来ていなければ人間死なないと言われたそうです。

 

 

本当にダメかと思ったらしいですが、

トシエさんはなんとか生還し、日本に帰国しました。

 

この出来事により、トシエさんのメンタルと、体力がまたアップしたようです。

 

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ついに全国大会で優勝

そしてインドから帰ってきたトシエさんは、

テレビもパソコンも携帯も捨て、

トシエさんは三味線に没頭しました。

 

 

努力の成果がでて、ついにトシエさんは三味線の全国大会でついに優勝しました。

 

 

お父さんに報告した所、お父さんははずかしかったのか、「嘘でしょ?本当の結果は?

」と言っていたらしいですが、

本当は嬉しくて、家族に言いふらしていたらしいです。

 

 

そんなお父さんからトシエさんにメッセージを貰いましたが、お父さんは恥ずかしいので主演出来ないという事で、

お父さんに似てると言うアニマル浜口さんに代わりにお父さんからの手紙を読んで頂きましたが、

 

 

アニマル浜口さんの感情が入りすぎて、

かなりアニマル浜口さんのアドリブになっていました。

 

 

 

まとめ

今回も激レアさんではすごい体験をした方が出演されました。

 

 

今回のトシエさんの経歴もかなりぶっ飛んでましたが、諦めず夢を叶えたトシエさんは本当に素晴らしい方ですね。

 

 

諦めず自分の夢を追いかけると言うこの気持ちは見習いたいです。

 

 

今後もトシエさんには三味線日本一として頑張って頂きたいです。

 

 

ご覧頂きましてありがとうございました。

 

 

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