秋元正博の事故や怪我とは?現在は政治家に転身?葛西紀明との関係は?[消えた天才] 2018

12月16日放送の『消えた天才』ではスキーレジェンドこと葛西紀明選手が憧れた人物が紹介されます。

 

 

あの葛西紀明さんが憧れた人とは、かなり只者ではないですよね!

 

 

気になって調べたところ、どうやら同じくスキージャンプ競技の選手だった秋元正博さんのだという事がわかりました。

 

 

 

今回は秋元正博さんの現在の職業や、プロフィールや経歴や、現役時代の交通事故、さらには大怪我のエピソードについても調べてみました!

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秋元正博のプロフィールや経歴は?

 

引用:https://www.yomiuri.co.jp/election2005/profile_kaihyou/ya01001004.htm

名前 秋元正博(あきもと まさひろ)

生年月日 195693

出身 北海道札幌市

 

秋元正博さんは、195693日生まれの現在62歳(201812月現在)、北海道札幌市出身の元スキージャンパーです!

 

 

 

現役時代は、地崎工業(現岩田地崎建設)に所属されており、明治大学政治経済学部を卒業されています。

 

 

秋元正博さんが活躍されていた期間は、1970年代後半より1980年代中盤にかけてです。

日本国外の大会で日本人として初めて優勝するという快挙も成し遂げられています!

 

その大会は、ストラブスケプレソ(チェコスロバキア)でのW杯90m級です!

 

 

日本人として初というのはかなりヤバイですね!

 

 

しかし、秋元正博さんは、

1986年の世界選手権で、ジャンプ中にバランスを崩して大転倒し、右足首を複雑骨折する重傷を負ってしまいます。

 

 

そんな大ケガをおってからも、

懸命なリハビリで奇跡の復活を遂げ、その後、国内ではあるが優勝もしております。

 

 

すごいバイタリティーですよね!

しかし、この事故をきっかけに国内では「ジャンプは危険なスポーツ」というイメージがついてしまいました。

 

 

まぁ確かに危険なスポーツではありますね。

 

 

しかしそんな中でも秋元正博さんは立ち向かっていたのが素晴らしいです!

 

 

秋元正博さんの試合記録

国内外の試合通算で88しており、この記録は世界記録になっています!!

 

(社会人68勝、シーズン15勝)

 

 

日本国外の大会でも日本人初の優勝をした上に、世界記録って、まさにレジェンドですよね!

やはり只者ではなかった秋元正博さん!

 

 

そんな彼の現在の職業はいったいなんなのでしょうか?

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秋元正博の現在の職業は?

北海道札幌市出身の秋元正博さんは元スキージャンプ競技の選手で、

1970年代後半~1980年代中盤にかけて八木弘和さんとともに日本スキージャンプ界を牽引されていました。

 

 

天才ジャンパーと称されたその実力はワールドカップで4勝

 

その2勝は五輪で4個もの金メダルを獲得した選手であり、日本でも「鳥人」と呼ばれていたマッチ・ニッカネンも出場していたため非常に価値のあるものと言われています!

 

 

1980年のレークプラシッド五輪では誰もが秋元さんのメダル獲得を疑わなかった程トライアルでも絶好調でした!

 

 

しかし、本番で失敗に終わりメダル獲得とはなりませんでした。

 

 

1988~1989年シーズンをもって秋元正博さんは、現役を引退されましたが、台頭してきたのは原田雅彦さんや葛西紀明選手でした。

 

 

現役引退後は2005年に鈴木宗男氏に請われて新党大地の副代表となり政治家として活動します。

 

引用:http://masato18resolution.com/archives/6446

 

しかしその後、

鈴木宗男氏は2009年にあっせん収賄容疑で逮捕されました事もあり、

その関係もあるのか分かりませんが、その後の秋元正博さんの政治活動の記録が見当たりませんでした。

 

 

2018年12月現在、新党大地のHPにも名前がありませんので政治家としては引退されている様ですね。

 

 

調べてみましたが、あまり政治家としての情報はありませんでしたので、

現在、政治活動はされてないようですね。

 

 

この辺も「消えた天才」の放送で分かるかもしれませんね。

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秋元正博の交通事故や大怪我のエピソードについて

 

天才ジャンパーと称された秋元正博さんですが、実は現役時代2度ほどアクシデントに遭われていました。

 

 

1982年自らの不注意で老人を死亡させてしまうという交通事故を起こされてしまったのです!

 

 

そのため逮捕され2年にもわたって謹慎生活を送られたそうですね。

 

もう競技することも諦められたそうですが、事故の相手の遺族から嘆願書が出され競技に復帰します。

 

 

文部省の圧力もあり1984年のサラエボ五輪へは出場辞退をせざるを得ない状況となりました。

 

 

もう一つは1986年3月8日オーストリアで行われたスキーフライング世界選手権に出場した際に空中でバランスを崩し転倒、右足首を複雑骨折するという大怪我をしてしまいます。

 

 

懸命なリハビリによりなんとか復帰されましたが、1988年のカルガリー五輪では

代表メンバーから落選してしまいます。

 

 

これにより現役引退を決意したようですね。

 

 

悪い事がつづいてしまいました。

 

 

もしも、交通事故や大怪我がなければ五輪でのメダル獲得もあったのでしょうね

 

 

人生どこでなにが起こるのかわからないものですね。

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まとめ

 

今回は元スキージャンプ競技の選手だった秋元正博さんについて調べてみました。

 

 

調べてみるとかなり人並み外れた才能をお持ちだった秋元正博さん。

 

 

葛西紀明選手がなぜ憧れていたのか、納得出来ましたね。

 

 

消えた天才の放送では、どんなお話が聞けるのか楽しみですね!

 

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