ブラジル番長吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)のWIKI経歴は?新聞記者番長?兄弟や暴走族と少年院時代とは?【激レアさん】

劇レアさんに吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんが出演されますね。

 

元暴走族で少年院に入り、

 

その後はブラジルの新聞記者になった、

 

という吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん。

 

ぶっ飛んだ経歴の吉永拓哉とはどのような方なのでしょうか?

今回は、そんな

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんの

ブラジルや新聞記者、番長?

そして兄弟や暴走族・少年院時代

地元ではどうなのか?

についても調べてみました。

スポンサードリンク

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんのwiki風プロフィール

引用:abbit15168.com/geki_rare-reporter-20190114-3289

名前:吉永拓哉(よしなが たくや)

生年月日:1977922

年齢41歳 ※20191月時点

出身地:福岡県福岡市

職業:新聞記者(サンパウロ新聞社)、作家、

コラムニスト、フリーライター、画家 など

特技:空手

兄弟:弟(こうたくさん/絵本作家)、

妹(YURIさん/イラストレーター)

1977年コーヒー会社を経営していたお父様と、

 

料亭を営む家の娘のお母様

との間に長男として吉永拓哉が誕生されます。

幼少期はスクスクと育ちましたが、

 

元気が良すぎたのか、中学に上がるとその元気さ(ヤンチャさ)

 

はさらにエスカレートし、

 

不良仲間といつもつるむようになりました。

 

そして、中学校内でシンナーを吸ってしまったことによって、

 

学校側から、登校拒否を言い渡されてしまったそうです!

 

え?中学でシンナーにより登校拒否はレベルが高い^^;

しかし、それで反省するというような

吉永拓哉少年ではありませんでした。

 

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん。

 

中学3年生になった15歳で背中に

ドラゴンのタトゥー(昇り龍の刺青)をいれるのです!

 

定時制高校に進学した16歳の時

には福岡市内の指定暴走族・鬼姫の

16代目副総長になります。

しかし、

吉永拓哉さんは、高校2年生の時に高校を中退されています。

 

その理由は学校内でマリ◯ァナを吸引したことだったそうです!

高校中退ごときではめげない

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんは、19歳の時に暴走行為、暴力事件、

 

覚せい剤取り締まり違反をしてしまい

 

これをきっかけにとうとう逮捕され、少年院へ送致されてしまいます

 

高校生ですよね⁈

 

この時点でテレビに出演されることもびっくりですが!笑

少年院内では社会復帰をするためにしっかりと反省されたようです。

 

その甲斐あって、20歳で少年院を出ました。

スポンサードリンク

少年院を出院後・壮絶な体験

吉永拓哉さんは少年院を出たあと、日本での社会復帰をせず、

 

南米へ渡って放浪の旅に出られました。

 

日本ではなく南米に渡るとは、さすが劇レアさんです!笑

 

最初はエクアドルへ行き、日本人の移住者が経営している

バナナ農園で働き始めました。

 

そこには、自分と同じく異国の地から移住し、

 

苦労しながら生きている人々の姿を目の当たりにし、今までの人生観がそこで大きく変わります!

しかし、元々治安のよくない地域でもあったためか、

 

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんはある日、ホモ集団に襲われ、

 

拉致されてしまったそうです!

 

その時の様子は、情報がないので

よくわかりませんでしたが、、、

 

結果的に、スキをついて間一髪脱出されたそうですね。

 

確かに見た目も性格も男らしいので、男にモテるのかも!

その後は、ペルーの民芸品店で働き、

 

ボリビアでは不法入国の誤解を受けて連行されたり(後に釈放)、

 

ブラジルのラブホテルの従業員として勤務。

 

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんは

このブラジルという国が好きになったそうなのですが、

 

ブラジルに滞在中、体調不良がずっと続いたため、

 

「これはきっとブラジルで古くから伝わる

黒魔術(マクンバの呪い)にかけられたのだ」

 

2000年(23歳頃)に

日本へ一時帰国し、霊媒師の元で

お祓いを受けたそうです!笑

それでも南米が好きになった

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんは、

 

この時日本と南米の懸け橋となる役目を担う決意をしました!

そしてブラジルの永住権を求めて

再びブラジルに渡った

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん。

 

アマゾンの奥地で毒蛇や毒グモのいる

木造家屋に素泊まりしながら

ブラジル生活を送られたそうですね。

2002年には再び日本へ一時帰国。

 

この時に、日本へ公務で来日していた

ペルーの元大統領の

アルベルト・フジモリ氏の

SPを務められたそうです。

その後はまた南米へと渡り、

 

ブラジルではギャング団に襲われ、

 

命を狙われる危機にも遭遇しました。

 

ペルー、チリ、アルゼンチンを旅しながら2004年に念願のブラジル永住権を

取得しました!

 

また、ブラジルの日刊邦字紙(新聞)である

サンパウロ新聞社に入社され、

 

新聞記者として活躍されています!

 

ヤンチャな学生時代から一変ですね!

スポンサードリンク

吉永拓哉のその後から現在は?

新聞記者となってからはサンパウロ新聞社を地元・福岡に支局を設立されたり、

 

イラストレーター、コラムニストといった才能を生かした活動を展開しています!

さらに1990年代、ペルーのフジモリ政権時代に起きたテロ制圧攻撃による

 

民間人殺害容疑(誤認による軍への指示)

 

によって軍事施設へ軟禁されていたフジモリ元大統領への面会・取材、

 

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん、

 

弟さんと妹さんとの3兄弟によるイラスト・デザインの事務所

 

「スタジオ・エドマッチョ」を設立されるなど、他方面に渡って活躍されいるようですね!

 

吉永拓哉の地元での活動など吉永拓哉さんの地元では福岡市中心部の繁華街・親富孝通りがある天神3丁目町内会長として、

 

町内会運営によるウェブ番組『親不孝通りTV』のMCを行なっていたりなど多様な顔を持たれています。

薬物などで一度は捕まっている吉永拓哉さんですが、

 

正直ここまで構成し、ここまで地元の人にも受け入れられているというのはすごいですよね!

 

それも吉永拓哉さんがここまでやってきた事の成果なのでしょう!

スポンサードリンク

まとめ

今回は吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんの

 

ブラジルや新聞記者、番長?

そして兄弟や暴走族・少年院時代

地元ではどうなのか?

 

について調べてみました。

 

元暴走族で少年院に入り、

 

その後はブラジルの新聞記者になった、

 

という吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん。

 

様々な普通ではない経験を経て

最終的にご自身の才能を生かして活動されていて、まさに劇レアな人でした、

 

劇レアさんの番組内で吉永拓哉さんの

新しい情報が聞けるのが楽しみですね!

 

ご覧頂きましてありがとうございました!

スポンサードリンク

(Visited 292 times, 1 visits today)





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA