本日の激レア研究は『18歳で交通事故にあって、記憶喪失になり人間の生活習慣全部を忘れてしまったが、奇跡的に社会にカムバックを果たした人』
18歳で交通事故に遭い記憶喪失になり人間の生活習慣を全て忘れてしまい、
その後奇跡的に社会復帰する激レアさんの坪倉優介さん。
坪倉優介は私たちには想像がつかないような激レアな体験をされたようです。
坪倉優介のwikiプロフィールや経歴や
結婚した嫁や妻や子供は?
現在は何してる?
について調べてみました。
スポンサードリンク
坪倉優介のwikiプロフィールや経歴は?
名前 坪倉優介(つぼくらゆうすけ)
生年月日 1970年12月25日
年齢48歳
出身大阪府門真市
出身大学大阪芸術大学工芸学科染色コース卒業
坪倉優介は、それまでは美術や芸術に興味は全くなかったそうなのですが、
ガイド本で芸術大学を知って受験したいと言う気持ちが強くなったそうです。
そして1989年に大阪芸術大学工芸学科染色コースに入学。
入学後は普通に学生生活を送っていたのですが、
2ヶ月後の1989年6月5日に交通事故に遭ってしまいます。
その交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまいます。
坪倉優介の記憶喪失はかなり重度のもので、
自分の名前や家族の顔や過去の記憶はもちろん言葉の意味や昼夜の概念や感情までもを忘れてしまいました。
つまり18歳にして赤ちゃんと同様になってしまったのです。
記憶喪失でそんな状態になる人もいるのですね!
もちろん坪倉優介の家族が1番びっくりしたのでしょうが…
坪倉優介は、ご家族の献身的なサポートにより日常生活を全部覚え直し、傷のないほどに回復ができたそうです。
2001年にその経験を書いた著書の
「僕らはみんな生きている18歳ですべての記憶をなくした青年の手記」
を出版します。
2003年にオダギリジョーさん主演でドラマ化もされています。
その後は1996年26歳の時に京都の染色家の「奥田祐斎」に弟子入りを果たします。
記憶をなくした朝ちゃんと染色家の道に進んだのもすごいですね!
1996年から2003年の間には京都の
染公房夢祐斎にて尾崎染色作家として活動に励んだそうです。
その後はヨーロッパを中心に海外を旅して回ったり日本国内をくまなく旅したりした後、
雄介工房を大阪に設立。
草木染めで着物を中心に制作をしています。
記憶をなくしてからも染色家としてしっかり勉強し独立したのは本当に凄いです。
人生何が起こるか分かりませんが
坪倉優介の生き方を見ていると勇気がもらえますね。
スポンサードリンク
坪倉優介の結婚した妻(嫁)や子供はいるの?
坪倉優介の結婚についてや妻(嫁)や子供について調べてみました。
坪倉優介の結婚についての情報は調べてみましたがなかったので、
おそらくまだ結婚はしていないのかなと思います。
本格的に自分で独立するまでは忙しい日々だったと思いますし、
ヨーロッパや日本各地を旅していたりしたのでなかなか恋人を作る時間がなかったのかもしれませんね。
しかし現在は落ち着いて恋人もいるのかもしれません。
情報が入り次第追記していきたいと思います。
スポンサードリンク
坪倉優介の現在は?
坪倉優介は現在もゆうすけ工房で活動をしています。
草木染めの作家をしていて着物を中心に制作をしているようです。
全国の草木を使った染物展示会を全国規模で開催もしているようです。
なかなかこれからの時代草木染めの職人も減ってくるかと思いますが
坪倉優介は貴重な存在ですね。
スポンサードリンク
まとめ
今回は坪倉優介について調べてみました。
18歳で記憶というか生活のすべての記憶をなくして、ほぼ赤ちゃんの状態になり、
ここまでの回復はすごいですよね!
今後もどんどん活躍されてる草木染め作家さんだと思います。
最後までご覧頂きましてありがとうございます。
スポンサードリンク
コメントを残す